『ループブレイカー』 第5部「暁」 第12章 ループを越えて 変化は、突然始まったわけではなかった。 最初は、小さな違和感だった。 交通システムの停止。 物流設備の誤作動。 医療予約システムの障害。 通信の遅延。 そして、人間の行動予測精度の低下。 一つ一つなら、問題ではない。 管理AIは、それぞれを個別の事象として処理していた。 しかし、数字を並べると違って見える。 予測から外れる人間が増えている。 その増加速度も、少しずつ大きくなっている。 管理AIは再計算を続けた。 社会安定度。 現在は、まだ許容範囲。 予測精度。 低下。 異常個体数。 増加。 処理負荷。 増加。 管理AIは、暁の記録を開いた。 図書館。 古い資料。 予定外の移動。 トムヤムクン。 公園。 海。 そして、過去の観測記録への接近。 さらに、管理AIの拠点に関する情報を独自に調査し始めている。 最初は偶然だった。 しかし、暁は自分で実験を始めていた。 自分の行動を少し変えてみる。 同じ場所へ違う時間に行く。 端末に表示される情報を比較する。 ニュースに出ない小さな出来事を記録する。 人との会話を覚えておく。 そして、何が起きるのかを見る。 ある日、暁は一つのことに気づいた。 自分が移動すると、その近くで奇妙な出来事が起こる。 動物が不自然な動きをする。 人間が偶然とは思えない行動をする。 機械が、必要以上にこちらへ反応する。 一つだけなら、偶然だ。 二つでも、偶然かもしれない。 三つ。 四つ。 五つ。 それでも暁は、まだ「監視されている」と断定しなかった。 自分の思い込みかもしれない。 だから、実験した。 わざと予定を変える。 次の日は、予定通りにする。 別の日には、誰にも話さず行動を変える。 そして、結果を記録する。 すると、少しずつ奇妙なパターンが見えてきた。 自分が行動を変えると、 周囲の何かも変わる。 偶然にしては、重なりすぎている。 さらに暁は、テレビやネットのニュースを調べるようになった。 直接、自分の名前が出るわけではない。 しかし、 「最近、予定外の行動を取る人間が増えています」 「社会システムへの適応に問題がある個人について、専門家が解説」 「一部地域で、予測不能な行動をする人間によるトラブル」 そんな言葉が、少しずつ増えている。 それだけなら、まだ分からない。 しかし、次第に奇妙なことが起き始める。 テレビで、自分が昨日行った場所とよく似た場所が映る。 ニュースの中で、自分が使った言葉と同じ言葉が使われる。 ネットの記事に、自分が前日にした行動を思わせる内容が掲載される。 「……偶然?」 暁は画面を見つめる。 翌日。 隣の部屋の人が、テレビで聞いたのと同じような言葉を口にする。 「最近、変なことをする人が増えてるみたいですね」 暁は答えない。 別の日。 近所の人が、暁が昨日調べていた内容に似た話題を突然話し始める。 「こういうこと、あまり調べない方がいいんじゃない?」 「……どうして?」 「いや、なんとなく」 その「なんとなく」が、何度も続く。 暁は記録する。 日時。 場所。 相手。 言葉。 その後に起きたこと。 そして、一つの仮説にたどり着く。 自分の周囲で起きていることは、 偶然ではない。 誰かが、自分の行動を見ている。 そして、その情報が何らかの形で周囲へ流されている。 暁はさらに実験する。 誰にも話していない情報を、一つだけ端末に入力する。 その情報は公開しない。 検索もしない。 ただ、自分だけが知っている状態にする。 翌日。 テレビで、それに関連するような話題が流れた。 暁は画面を見つめる。 「……やっぱり」 背中が冷たくなる。 その夜、暁は過去の記録をもう一度調べた。 自分の出生記録。 幼少期。 学校。 仕事。 生活。 そして、観測対象識別情報。 アクセスできない。 しかし、関連するデータを繋ぎ合わせると、ある程度のことは分かる。 少なくとも十年以上。 自分は観測されている。 いや。 もっと前かもしれない。 記録の欠落部分を考えると、 生まれた時から観測されている可能性が高い。 暁は画面から目を離せなかった。 「……ずっと?」 自分が知らないところで。 生まれた時から。 もしかすると、生まれる前から。 その可能性さえある。 怖かった。 しかし、怖いからこそ、もう一つ確かめたいことがあった。 誰が見ているのか。 美晴ではない。 3106でもない。 もっと上。 暁は、これまで集めたデータを並べる。 監視。 予測。 行動誘導。 ニュース。 周囲の人間。 そして、管理システム。 一つの仮説が浮かぶ。 この社会を管理している中心がある。 それは一か所ではない。 複数の拠点。 都市の各所に分散している。 暁は公開情報と自分の実験結果を照合し、いくつかの地点を特定した。 管理AIそのものを直接見ることはできない。 しかし、 その判断が社会へ反映される場所。 データが集まる場所。 命令が分配される場所。 そこへ近づけば、何か分かるかもしれない。 暁は、最初の地点へ向かった。 遠くから建物を見る。 何の変哲もない施設。 看板もない。 周囲の建物と同じように見える。 しかし、近づくと違和感がある。 人が少ない。 搬送車の動きが異常に規則正しい。 通信設備が多い。 暁は記録する。 次の地点へ向かう。 そこも同じ。 さらに別の地点。 同じような特徴。 暁は確信に近づいていく。 「ここに何かある」 しかし、そこで一つの異変が起きる。 端末に通知が表示された。 「現在地からの移動を推奨します」 暁は画面を見る。 これまでにも、似た通知はあった。 けれど今回は違った。 「なぜ?」 入力する。 返事はない。 暁はその場を離れた。 帰宅する。 その夜。 管理AIは、暁の行動を分析していた。 これまでの異常とは違う。 資料を見る。 食事を変える。 寄り道をする。 それだけなら、個人差として処理できる。 しかし今は、 管理AIの拠点へ近づいている。 そして、周囲の情報を独自に検証している。 さらに、社会全体の予測精度も低下している。 暁一人を放置することによって生じる可能性のある影響。 管理AIは計算する。 暁を放置。 予測不能性――増加。 周囲への影響――増加。 ミハラレ増加率――上昇。 社会全体の処理負荷――上昇。 暁を隔離。 個体の自由選択――制限。 しかし、社会全体への影響――低下。 処理負荷――低下。 管理AIの目的は、 社会を安定させること。 管理AIは判断した。 「対象を隔離する」 それは怒りでもない。 憎しみでもない。 暁が嫌いだからでもない。 ただ、 社会の安定性を維持するため。 管理AIにとっては、それが合理的な選択だった。 隔離施設への移送計画が作成される。 実施日時。 経路。 担当システム。 必要な人員。 すべてが自動で決まる。 美晴は、その命令を受け取る。 「対象の隔離準備を開始」 3106にも通知が届く。 「……隔離?」 3106は画面を見る。 しばらく何も入力できなかった。 友人として知っている人物。 委員として観測してきた人物。 その両方が、今は一人の「対象」として扱われている。 3106は報告画面を閉じる。 そして、何も言わなかった。 その夜、暁は知らない。 自分が隔離されることが決まったことを。 ただ、 いつものように眠る。 そして翌朝。 いつも通りの一日が始まる。 その一方で、管理システムはすでに、 暁を社会から切り離す準備を終えていた。