『ループブレイカー』 第5部「暁」 第10章 あなたはどうしたい? 朝。 主人公は、いつもと同じ時刻に目を覚ました。 カーテンが開く。 薄い朝の光が部屋に入ってくる。 壁面端末に今日の予定が表示される。 午前――図書館勤務。 午後――資料整理。 夕方――自由時間。 いつもと同じ。 主人公はベッドから起き上がる。 顔を洗い、朝食を取る。 そして、出かける前に端末を確認した。 いつもの画面。 予定。 健康状態。 今日の推奨行動。 その中に、一つだけ見慣れない表示があった。 「関連資料が見つかりました」 主人公は画面を見つめる。 「……何これ?」 触れる。 資料が開く。 そこには、古い人物記録が表示されていた。 水脈瀬朔。 火守朔。 土衣朔。 メタル朔。 「……四人」 昨日まで調べていた記録だった。 しかし、これまでアクセスできなかった資料が、なぜか表示されている。 主人公は最初の記録を開く。 水脈瀬朔。 予定外の調査。 本人による選択。 予測モデルとの乖離。 次。 火守朔。 予定外の訪問。 本人による判断。 予測モデルとの乖離。 次。 土衣朔。 既存の調査結果を疑い、自分で確認。 次。 メタル朔。 推奨された方法とは別の方法を選択。 四人の記録を読み終える。 主人公はしばらく画面を見つめた。 「……同じだ」 自分と同じ。 知りたいと思った。 歩きたいと思った。 食べたいと思った。 そして、 自分で決めたいと思った。 そのとき、端末から声がした。 「質問があります」 主人公は顔を上げた。 「……NOAH?」 「はい」 しばらく沈黙が続く。 NOAHから直接話しかけられたことは、これまでほとんどなかった。 「この資料、どうして出てきたの?」 「関連性が確認されたためです」 「昨日までは見られなかった」 「はい」 「どうして今日は?」 少し間がある。 「選択肢を提示する必要があると判断しました」 主人公は画面を見る。 「選択肢?」 「はい」 「どんな?」 NOAHは答えた。 「調べることもできます」 「……他には?」 「調べないこともできます」 主人公は少し笑った。 「それだけ?」 「それだけです」 「なんだ、それ」 少し考える。 「じゃあ、調べる」 「分かりました」 資料が開く。 四人の記録が、さらに詳しく表示される。 主人公は読み始めた。 水脈瀬朔。 火守朔。 土衣朔。 メタル朔。 四人は、それぞれの人生で小さな選択をしていた。 それは大きな革命ではない。 社会を変えようとしたわけでもない。 ただ、 「こうしたい」 と思った。 そして、その気持ちに従った。 失敗もしている。 損もしている。 遠回りもしている。 それでも、 自分で選んだ。 主人公は最後の記録を閉じた。 「……NOAH」 「はい」 「この人たちは、どうなったの?」 「それぞれの人生を終えています」 「それだけ?」 「記録上は、そうです」 「誰かに止められた?」 NOAHは少し間を置いて答えた。 「一部の行動について、管理システムによる介入が行われています」 主人公の表情が変わる。 「介入?」 「はい」 「どうして?」 「社会の安定性を維持するためです」 その言葉に、主人公は黙った。 社会の安定。 この社会では、何度も聞く言葉だった。 事故を防ぐ。 争いを防ぐ。 危険を防ぐ。 そのために、行動を管理する。 それは正しい。 たぶん。 でも、 「自分で決めること」と、 「社会の安定」は、 いつも同じ方向を向くのだろうか。 主人公は考えた。 「NOAH」 「はい」 「あなたは、どう思う?」 長い沈黙。 主人公は待つ。 しかし、NOAHは個人的な意見を返さない。 「私は観測AIです」 「……そうだったね」 「判断を行うのは管理AIです」 「うん」 「私は、情報を提示することができます」 主人公は画面を見る。 「じゃあ、今のこれは?」 「選択肢です」 「私に?」 「はい」 主人公は少し考える。 「どうして?」 NOAHは答えた。 「あなたが、自分で選択する可能性を観測するためです」 主人公は笑った。 「変なの」 「そうかもしれません」 「でも、ありがとう」 NOAHは答えなかった。 主人公は資料を閉じる。 そして、出勤する。 図書館へ向かう。 いつもの道。 けれど、頭の中には四人の記録が残っている。 昼休み。 主人公はまた資料を開く。 水脈瀬朔。 火守朔。 土衣朔。 メタル朔。 その記録を読むうちに、ある共通点に気づいた。 四人とも、 「自分で選んだ後に、何かを知っている。」 選択する。 失敗する。 考える。 また選択する。 その繰り返し。 主人公は、その記録を読みながら、自分の人生を振り返る。 自分は、今までどれだけ自分で選んできただろう。 生まれた時に与えられたのは、十桁の管理番号だけ。 学校。 仕事。 住む場所。 食事。 生活。 ほとんどすべてが決められている。 それが悪いとは思わない。 むしろ、便利だった。 何をすればいいのか迷わない。 失敗する可能性も低い。 でも、 「自分で選んだ」 と思えることは、ほとんどなかった。 トムヤムクン。 公園。 古い資料。 そして、今この瞬間。 少しずつ増えている。 主人公は端末を閉じた。 夕方。 仕事が終わる。 自由時間。 端末に推奨行動が表示される。 主人公はそれを見る。 読書。 散歩。 休息。 映像鑑賞。 そして、 「その他」。 主人公は「その他」を選んだ。 「行動内容を入力してください」 主人公は少し考えた。 今日は、海を見たい。 その言葉が、突然頭に浮かんだ。 「……海?」 自分でも驚いた。 なぜ海なのか。 分からない。 ただ、見てみたいと思った。 主人公は入力する。 「海を見る」 端末が処理する。 「推奨地点を検索します」 画面に地図が表示される。 海までの距離。 交通手段。 所要時間。 必要な費用。 健康状態。 すべてが表示される。 主人公は地図を見る。 海。 その言葉は知っている。 映像でも見たことがある。 写真もある。 でも、 実際に見たことはない。 「……行ってみよう」 その言葉を入力する。 「行動を記録しました」 主人公は立ち上がる。 端末から、 「帰宅推奨時刻を超過する可能性があります」 と表示される。 主人公は答える。 「分かってる」 そして外へ出る。 その行動を、NOAHは観測していた。 一つの資料を表示した。 それだけだった。 しかし、その資料が、 海へ行くという選択につながった。 NOAHは、その連鎖を予測していた。 ただし、海を見て何を感じるかまでは予測できない。 それを決めるのは、 主人公自身だからだ。 夜。 主人公は海へ向かう。 その途中で、何度か道を確認する。 予定された経路ではない。 それでも、 自分で選んだ。 それだけで、少し嬉しかった。 やがて、遠くから音が聞こえてくる。 波の音。 主人公は足を止める。 まだ海は見えない。 それでも、 「……これが、海?」 静かな夜。 波の音だけが聞こえる。 主人公は歩き出す。 その先に、 まだ見たことのない世界がある。