『ループブレイカー』 第5部「暁」 第4章 記録に残らない人間 翌朝、主人公は目を覚ますと、昨日の四人の名前を思い出した。 水脈瀬朔。 火守朔。 土衣朔。 メタル朔。 四人とも、もうこの世界にはいない。 それなのに、記録だけは残っている。 昨日の夜、帰宅してからも調べてみた。 四人の生年月日。 学校。 仕事。 住所。 移動記録。 どれも驚くほど細かい。 ただ、不思議なことが一つあった。 普通の人間なら、ここまで細かい記録が残ることは珍しくない。 管理社会なのだから、当然とも言える。 しかし、四人には別の記録が付いていた。 「予測モデルとの乖離」 その項目だけが、何度も繰り返されている。 主人公は朝食を取りながら、端末を操作する。 四人の名前を同時に検索する。 結果が表示される。 関連性の高い資料。 研究記録。 新聞。 行政資料。 そして、昨日見つけた「共通観測記録」。 やはりアクセスできない。 「……見たい」 そう呟く。 端末は何も答えない。 主人公は朝食を終え、図書館へ向かった。 今日は、最初から書庫へ行くつもりだった。 予定表にはない。 それでも行く。 図書館に到着する。 認証を済ませ、事務室を通り過ぎる。 「今日は早いですね」 同僚から声がかかる。 「少し調べたいものがあって」 「昨日の続き?」 「はい」 「好きですね、そういうの」 主人公は少し考えた。 「……好きなのかもしれません」 自分で言ってから、また少し驚いた。 最近、この言葉を使うことが増えた。 好き。 知りたい。 歩きたい。 どれも、予定表には書かれていない。 書庫へ入る。 昨日のファイルを取り出す。 四人の記録をもう一度確認する。 ページをめくる。 そして、昨日は見落としていた小さな記号に気づいた。 四人の名前の横に、同じ記号がある。 円のような形。 その中心に、小さな点。 「……これ、何?」 紙を裏返す。 何もない。 端末で記号を検索する。 検索結果はほとんどない。 一件だけ、古い技術資料が出てきた。 開く。 「観測対象識別記号」 その言葉に、主人公の背筋が少し冷たくなる。 さらに読む。 「個人の行動記録を長期的に追跡するための識別情報」 個人。 長期的。 追跡。 主人公は画面を閉じた。 「……長期って、どれくらい?」 検索する。 数年。 十数年。 数十年。 そして、出生記録から追跡する場合もある。 主人公は画面を見つめた。 出生。 その言葉が頭に残った。 自分の出生記録。 十桁の管理番号。 生まれた瞬間から始まった記録。 主人公は自分の管理番号を入力する。 出生記録を開く。 日時。 場所。 体重。 健康状態。 遺伝情報。 両親に関する情報。 その下に、見慣れない項目があった。 「観測対象識別情報」 主人公の指が止まる。 クリックする。 アクセス権限がありません。 「……また」 戻る。 別の方法で検索する。 出生記録。 観測。 識別情報。 結果は出ない。 さらに条件を変える。 管理番号。 観測対象。 結果なし。 主人公はしばらく画面を見ていた。 そして、ある考えが浮かぶ。 自分は、いつから観測されているのだろう。 十年以上。 もっと前。 もしかすると、生まれたときから。 考えれば考えるほど、怖くなる。 しかし、確かめたい。 主人公は古い資料をさらに探す。 四人の記録に戻る。 水脈瀬朔。 最初の観測記録。 火守朔。 最初の観測記録。 土衣朔。 最初の観測記録。 メタル朔。 最初の観測記録。 それぞれの記録を比較する。 共通している。 人生の途中から観測が始まったわけではない。 少なくとも、かなり早い時期から記録されている。 ただし、記録そのものが一部欠落している。 まるで、最初から存在しなかったかのように。 「……消された?」 その言葉が口から出る。 その瞬間だった。 書庫の照明が一度だけ暗くなった。 主人公は顔を上げる。 すぐに元へ戻る。 誰もいない。 けれど、背中に視線を感じる。 振り返る。 誰もいない。 天井の監視カメラを見る。 小さなレンズ。 こちらを向いている。 「……見てる?」 もちろん、返事はない。 主人公は端末を閉じた。 そして、書庫を出る。 事務室へ戻る途中、3106と会った。 「おはよう」 「おはよう」 「今日は朝から調べてるね」 「うん」 「何を?」 主人公は少し迷った。 「昔の人の記録」 「また?」 「うん」 3106は笑った。 「そんなに気になる?」 「……気になる」 「何が?」 主人公は答えなかった。 少し考えてから言う。 「自分の記録」 3106の表情が、一瞬だけ変わった。 本当に一瞬だった。 主人公は気づかなかった。 「自分の?」 「うん。いつから記録されてるのかなって」 3106は少し黙った。 「この社会なら、生まれた時からじゃない?」 「そうだよね」 主人公は笑った。 「でも、もっと別の記録があるみたいなんだ」 「別の記録?」 「観測記録」 3106は何も言わなかった。 主人公は続ける。 「昔の人にもあった」 「……そう」 「だから、自分にもあるんじゃないかと思って」 3106は主人公を見る。 「それを調べて、どうするの?」 主人公は少し考える。 「分からない」 「分からない?」 「うん。でも、知りたい」 3106は笑った。 「そうだね」 その笑顔は、いつものものだった。 しかし、主人公には分からなかった。 その日の夜。 3106は一人で端末を開いていた。 画面には、委員番号3588。 そして、別の画面にはマイピープルナンバー3106。 同じ人物に二つの番号が存在している。 一つは日常のため。 もう一つは、ミハラレ対策委員としてのもの。 3106は今日の報告を入力する。 「対象は、自身の長期観測記録について調査を開始」 送信。 数秒後、返信が来る。 「観測継続」 3106は画面を閉じた。 しばらく椅子に座ったまま動かなかった。 そして、小さく呟く。 「……どこまで知るんだろう」 その言葉を聞く人はいない。 ただ、別の場所で美晴がその報告を受け取っていた。 監視AIは記録を更新する。 対象。 自己観測への関心。 過去記録への接近。 予測不能性。 管理AIへ送信。 管理AIはまだ判断しない。 危険性は低い。 しかし、以前より一つだけ違う。 対象は、自分が観測されている可能性に気づき始めている。 その夜、主人公は眠れなかった。 ベッドに横になり、天井を見る。 十桁の管理番号。 出生。 観測記録。 四人の朔。 そして、自分。 もし本当に、生まれた時から記録されているのなら。 自分が知らない自分の人生を、誰かが知っている。 そう考えると、少し怖かった。 しかし、それ以上に知りたかった。 「……明日、もう一度調べよう」 その言葉を最後に、目を閉じる。 暗い部屋の中で、端末の小さなランプだけが点灯している。 その光は、夜が明けるまで消えなかった。